阿里山林業鉄路の建設は日本統治時代の明治36年(1903年)に、台湾総督府が木材運搬の利便性を向上すべく、実地調査、測量および規格設計など、阿里山森林の開発を計画し、明治39年(1906年)、日本の藤田組が施工を開始しましたが、その後経営上の問題で、国営に戻りました。大正元年(1912年)12月、嘉義駅から二萬平駅まで正式に開通し、その全長は66.6kmに達しました。森林開発事業の発展上の必要性に伴い阿里山まで延長し、支線の数が増えていきました。一部の支線は建設完了時に次々廃止されましたが、本線と主要な支線は現在も使用されています。現在、嘉義駅から阿里山駅までの運行区間は全長約71.6kmに達し、世界的に有名な登山鉄道の一つになっています。
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昔の沼平駅(絵: 蘇昭旭)
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かつての新高口(絵: 蘇昭旭)
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昔の二万平駅
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昔の阿里山駅
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昔の神木駅
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昔の奮起湖駅