シェイ式蒸気機関車の歴史
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シェイ式蒸気機関車
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シェイ式蒸気機関車
当初、日本の「藤田組」が、木材の輸送のために、13トン級2気筒のシェイ式蒸気機関車を米国ライマ・ロコモティブ・ワークス社から購入し、これは阿里山森林鉄路で初めての蒸気機関車となりました。「藤田組」の財力が限られていたため、列車の購入計画が全く整備されておらず、台湾総督府が公式に着手してからようやく改善しました。明治43年(1910年)~大正2年(1913年)にかけて、高山地区の建設工事に備え、18トン級のシェイ式2気筒蒸気機関車8基を購入しました。大正元年(1912年)には、阿里山森林鉄路の「二万坪」から「神木」のスイッチバックの急斜面の区間は18トンの機関車では積載できなかったため、阿里山鉄道の「八山」から「神武」までの急な斜面に積載できなかったため、28トン級3気筒蒸気機関車が導入されました。大正元年(1912年)~大正6年(1918年)の間に12台を購入しました。1920年を迎えてにディーゼル機関車が発明され、蒸気機関車以上の馬力を誇るため、シェイ式蒸気機関車は淘汰されるようになりました。しかしながら、この20台あまりの蒸気機関車は、困難を極めた阿里山森林鉄路の開拓の歴史上、大きな役割を果たしたのです。
シェイ式蒸気機関車の特徴
- シェイ式蒸気機関車は、アメリカの林業経営者でもある発明家のエフライム・シェイ(EPHRAIM SHAY)が設計しました。この「直立シリンダー」は、従来の「往復型シリンダー」と比べてカーブのレールと各駅低医者の列車に適しており、木材業者から大変好評を博し、1881年には特許を取得しました。アメリカ国内販売の他にカナダやメキシコ、中南米、オーストラリアなどの国々も輸出されました。
- シェイ式蒸気機関車は、スチーブンソン式弁装置を搭載し、偏心輪で動く滑り弁と逆機構造を組み合わせて、車両の前進と後進の運転時の必要に応じて、速度を蒸気量で制御していました。
- 世界で非常に独特な最小回転半径構造で、曲線半径は最小30mまで達しています。
- 低速、高トルク、強力なクライミング性能に加えて、メンテナンスが手動で簡単であったことにより、長期間にわたってその地位を確固たるものにしました。
- 右の軸箱には耐震一次バネがありませんが、左の軸箱には耐震一次バネが搭載されていました。
- このタイプの機関車は、いわば日米の混血でした。アメリカ、オハイオ州のライマ・ロコモティブ・ワークス社によって設計および製造されていますが、単一のメーカーで組立ていたわけではありませんでした。 ブレーキシステムはアメリカ、ウェスティングハウス・エレクトリック社のET-6型を使用していましたが、ブレーキ部品とルブリケータは日本製でした。
- 構造と車両の制限に違反しないという条件の下では、シェイ式蒸気機関車は平行で直立、短距離のピストンストローク構造を持ち、搭載された4対の傘型ギアの高い登山能力は、阿里山森林鉄路の独特の地形のニーズに適していました。
- このタイプの機関車には砂撒き装置が搭載されており、「空気コントロール砂撒き」または「マニュアル砂撒き」で、レールにセラミックを噴射して粘着力を増し、鉄道車両の歴史において「砂撒き粘着」のモデルとなりました。
- ワシントン式ポンプで放水の圧力と消防機能を高めました。
第二次世界大戦後、鉄道のディーゼル化と電化、そして道路と航空の競争のあおりを受けて、ライマ社は工場を閉鎖しました。 本処の嘉義のガレージ修理工場は、元の部品を補完することなく、金型を開いて部品を作り直すため、26号蒸気機関車は依然として動的モードで保存することができ、世界各国で使用されていたシェイ式とは、全く違うスタイルを持っていました。これは、台湾の阿里山森林鉄路が独自に所有する貴重な財産ですので、お越しのお客様がその素晴らしい外見を見学されると同時に、この貴重な国宝をいつまでも忘れないことを願っております。
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