第1世代ディーゼル機関車
1953年、日本より導入した11403-1号と11403-2号は、当時の台湾ではディーゼルを利用した鉄道がなく、不慣れであったため、導入した機関車は森林鉄路の山間部の地形には適していませんでした。嘉義竹崎間の平地箇所で牽引や操車でのみ使用されました。
第2世代ディーゼル機関車
1954年と1955年に、再び日本から25tディーゼル機関車11403-3号と11403-5号を購入しましたが、この機関車の馬力に限界があり、1962年になってようやく嘉義-奮起湖区間の指定席付き快速列車が運行されました。ただし、主に平地区間の運輸や調整に使用されました。『ディーゼル旅客列車 中興号』はディーゼルエンジンを搭載した自走式旅客列車であり、単一車両での運転も多両編成でも運転することができます。斜面を登る場合は時速35km、平地では時速55kmで走行できます。元々、嘉義から阿里山までは7時間以上かかりましたが、中興号はわずか3時間40分で到着して当時の記録を塗り替え、利用客から大きな反響を集めました。
第3世代ディーゼル機関車
1969年、25tディーゼル機関車DL25-30を6両購入しました。このディーゼルエンジンは馬力を向上し、フレーム中心伝動を採用していましたので、運行状況は良好で、現在では祝山線と神木線で使用されています。
第4世代ディーゼル機関車
機関車のディーゼル化によって、利用者数と速度が大幅に増加しましたので、中興号の輸入を停止し、三菱からディーゼル機関車を購入するようになりました。1972年にDL31-34を4両購入し、新しい旅客車両の中心となり、「光復号」と命名されるようになりました。
第5世代ディーゼル機関車
1972年、日本と断交後、日本製品をボイコットせよという世論を反映して、1975年にオーレンシュタイン・ウント・コッペル社(略称、「コッペル」)に切り替え、車両を3両購入しましたが、構造が複雑で、部品の流通量が少なく、メンテナンスは困難を極め、日本製と操作システムが異なり、運転士が操作に不慣れだったため、使用を中止しました。
第6世代ディーゼル機関車
1980年代に道路が次々開通になった影響で、森林鉄路の利用客数が急激に減少し、他の交通機関との競争で対抗できるように、1982年に28tのディーゼル機関車DL39-43号を5両購入しました。1984年に冷暖房を完備した阿里山号が正式に運行開始しました。
第7世代ディーゼル機関車
交通のニーズに対応すべく、嘉義林区管理処は2004年12月、日本車輛から新車7両を購入し、2006年、2007年に運行を開始しました。