歴史

台湾の木材伐採は先史時代から始まって、日本時代までです。総督府は台湾に健全的な林務作業システムの機関組織と林業法令を立ちました。日本人が台湾を統治した時期は9つの時期を分けて、1896年からは殖産部(1896-1897)、殖産課(1898-1900)、殖産局(1901-1914)、殖産局と営林局(1915-1918)、営林局(1919)、殖産局(1920-1939)、営林所と殖産局(1940-1942)、殖産局(1943)、農商局(1944-1945)である。

明治39年(1906)

大阪の藤田組が建築。

明治43年(1910)

阿里山鉄路は殖産局時期は嘉義に「阿里山作業所」を設立し、阿里山森林と阿里山林業鉄路の管理事項を担当しました。

大正4年(1915)

林務機関の管理範囲は拡大するため、営林所を増設し、公営伐採、造林、林産処分と販売を担当しました。そして阿里山作業所は営林局の傘下になって、名前を「阿里山出張所」に変わりました。

大正8年(1919)

名前を営林局「嘉義出張所」に変わりました。

大正9年(1920)

殖産局営林所嘉義出張所。

昭和1年から民国31年(1926-1942)まで

営林所嘉義出張所(林業)と台湾拓植株式会社(鉄路)、国土を回復した後、中華民国政府に移転した。

民国33年(1944)

台南州嘉義山林事務所(林業)と台湾拓植株式会社(鉄道)。

民国34年(1945)

10月国土を回復した後、「台湾省行政長官公署」は農林処の下に「林務局」を設立して、台湾総督府林政営林などの業務を引き継ぎまして、台湾全島を10個の林政区域を分けて、台北、羅東、新竹、台中、埔里、台南、高雄、台東、花蓮など山林管理所を設立し、下にまた分所を設立し、ほかに四つの模範林場を設立し、また林業試験所三つを設立して、業務を別々に担当しました。その中の「阿里山林場」と台南山林管理所は、何年間を立ってから、合併し、林務局玉山林区管理処になりました。

民国36年(1947)

5月16日、「台湾省行政長官公署」は「台湾省政府」に変わって、同年(1947)5月30日台湾省政府の命令で台湾省行政長官公署の農林処の下の林務局は林産管理局に変わりました。

民国36年(1947)

6月16日、台湾省政府が正式に「台湾省政府農林処林産管理局」を成立し、唐振緒が局長を担当しました。

民国38年(1949)

12月、台湾省政府は所属の農林処を「農林庁」に変わりました。

民国49年(1960)

2月林産管理局は「林務局」に変わりました。

民國78年(1989)

7月1日は公務機関に変わって、玉山林区管理処と楠濃林区管理処の一部分が合併し、「台湾省政府農林庁林務局嘉義林区管理処」を改名し、林政課、治山課、作業課、育楽課、行政室、森林鉄道管理課別々設立しました。森林鉄道管理課は土木、運務、機務、材料四股を設立し、鉄道事務の管理を担当しました。

民国88年(1999)

政府の仕組みが変わることによって、農民庁は行政院農業委員会に所属し、名前を「行政院農業委員会林務局嘉義林区管理処」に変わって、民国102(2013)まで「鉄道管理課」が鉄道全線を管理しました。

民国95年(2006)

行政院は森林鉄道の経営を民間企業にお願いすることを同意して、林務局は民間企業宏都阿里山国際開発有限会社に運営をお願いしました。

民国99年(2010)

3月台風8号の被害を受けて、その会社は完全な全線修復計画を提出できなく、契約を違反したため、政府と国民の最大利益を考量したうえて、BOTを中止しました。林務局は森林鉄道の経営権を取り戻して、ステップバイステップ阿里山森林鉄道の修復工事を再運転を処理しました。

民国102年(2013)

行政院の指示を従い、林務局と台湾鉄道局と行政契約を結び、台湾鉄道局が運営することを託しました。2018年6月30日まででした。

民国106年(2017)

行政院が文化資産の保存、財産権、人力ニーズを考えたうえて、林務局が専門の役所を成立することが最適方法を認めました。

民国107年(2018)

鉄道専門の機構「行政院農業委員会林務局阿里山林業鉄道と文化遺産管理処」を成立しました。